創業者の想い

代表取締役 関根 敏政家族と社員、お客様に支えられた、関根電気の創業からこれまで。

電気工事に携わったきっかけと、独立の理由。

私は農家の長男として生まれました。専業農家としては、とても食べていけない規模。まわりの同世代が社会に出て働くようになっても、私は横道に逸れるような形で、定職に就かず遊んでいた時期がありました。様子を見かねた祖父が町内にある電気屋さんを紹介してくれたんです。社長も奥さんも先輩も人格的に素晴らしい方ばかり。真面目に取り組んで仕事も楽しく、本当に居心地の良い会社でした。皆さんのバックアップもあって、数年の内に資格もいくつか取得し、順調に仕事も覚えることができましたね。そうして家内と知り合い結婚し、子どもを授かることができました。

ところが、娘が3歳に成長した頃、難病に罹っていることが判明。家内と一緒にあらゆる病院をまわりましたが、治療に向けた色よい返事をくれる先生は、なかなか見つからない。そんな中、東京の慈恵医大の先生が、日本赤十字などと連携を取ってくださり、「何としても娘さんの病気を治しましょう」と言ってくれました。問題は莫大な治療費です。当時は20万円程の給料。家も建てたばかりでローンもある。状況を劇的に変えなければ、治療費を捻出することはできませんでした。娘を生かしたい。娘を治したい。その一心で、私は独立を決意しました。

希望を失った、突然な娘の死。

創業は昭和60年。いわゆるバブル期の終わり頃でしたから、仕事もそれなりに多く、働けば働くだけ収入には繋がりました。中古のライトバン1台を買って、仕事に必要な道具を全て積み、様々な現場を駆け巡ったものです。忙しい時には、娘を現場に連れて行き、風邪をひかないよう毛布にくるみ、私が仕事をしている間は寝かせていたなんてことも少なくありませんでした。365日ほとんど休みなし。家内の手を借りながら、毎日、夜遅くまで無我夢中で働きました。

治療の甲斐もあって、ある程度は生き長らえることができましたが、娘は18歳の時、突然、学校帰りに亡くなってしまったんです。家内のショックも大きかったですし、私にとっても娘を治すという希望がなくなってしまった。この仕事も、当初の目的を失ってしまった訳で、「私の一代限りでこの仕事は畳んでしまおう。この後は家族が食っていく分だけでも働いていけたらいい」。そんな気持ちでした。生涯で最も落ち込んでいた時期です。

息子の決意表明で、再び奮い立つ。

しかし、そんな状態から再び奮い立たせてくれたのも、私たちの子どもだったんです。息子は小さい頃から「親父の跡を継ぐんだ」と言ってくれていましたし、小学校の作文でもそう書いていました。そして実際、高校を卒業する前に、跡を継ぐことを改めて宣言したんです。私自身は、この業界の5年後10年後を見据えた時に、厳しい状況が待ち受けているとわかっています。たとえその年は業績が良くても、翌年にどうひっくり返るかわからない。そういう業界です。そのため、親としては正直、大学を出て公務員になってほしいと考えていました。

けれど息子の意志は堅く、電気関係の学校へ自ら進んで入学。無事に卒業した時には資格を取って帰ってきました。やはり私たち夫婦の子どもですから、当然可愛いですよ。よし、息子が跡を継ぐと決めたんだから、私も腹を括ってやるしかないと感じました。娘が亡くなって折れていた気持ちを入れ替え、もう一度、頑張ろうと思えたのは息子のおかげです。

お客様に学び、社員に恵まれた会社組織。

独立する際には、現在の専務である弟も一緒に働いてくれることになり、心強かったですね。独立後には、お客様にも恵まれました。当初、メインにしていたのがパチンコ店です。多くのオーナーさんにお世話になりました。仕事の方法も仕込まれましたし、何よりも「仕事では楽して金を稼ぐことはできないんだぞ」という商売の根本も教えてもらいましたね。今の関根電気があるのは、その時期や、たくさんのお客様と巡り会えたからだと思っています。

仲間である社員にも恵まれました。私は「社員は宝」であると思っているんです。社員の皆には、「いつもありがとう。皆が少しでもいい生活ができるように、私も努力し続けるから、今後も一緒に頑張っていこう」と、いつも話しています。関根電気が行なう電気工事は一貫施工だから、覚えることが多いため、仕事を一通り覚えるまでが、本当に大変。そんな中、ベテランから若手まで全ての社員がよくやってくれています。

他の会社のことは詳しくわかりませんが、できる限り給与面などの待遇で、皆の仕事ぶりに応えたいんですね。社員に「感謝してる」と話したところで、それはただ言葉に過ぎませんから。頑張ってくれた分は、やはりお金で返すのが一番だし、あるべき姿。私はそう思っていますね。決算で利益が出れば社員に還元します。賞与も年3回。関根電気の社員は、皆が意気に感じて頑張る人間が多いことを、私は常々、深く感謝しています。

メンテナンスこそが私たちの命綱。

当時のお客様から求められたのも、強い信頼をいただいたのも、メンテナンスの部分です。ご連絡を頂戴すれば、昼も夜もなく直ちに現場へ向かいました。「電気工事のメンテナンスには大きな需要がある。だったら私たちの会社は、そこにこそ力を注ぎ、お客様へのお役立ちを果たし、業界内でのポジションを確立していこう」と決断。そうして関根電気の方向性が定まったんです。

業界を問わず、様々な会社のメンテナンスを、優先的に365日24時間体制で対応することにしました。夜になれば社員は帰宅します。それ以降の時間でお電話をもらえば、私が夜中に現場へ出かけて修理をして自宅に帰ってくる。そういう仕事を繰り返していく内に、いろいろなお客様から「電気工事に関しては関根電気に頼めば一生懸命にやってくれる」の声が挙がり、口コミと、お客様のご紹介で実績を積み重ねることになります。

繰り返しになりますが、関根電気はメンテナンスで業績を伸ばしてきた会社です。お客様に喜んでいただいたのもその点だと自負しています。電気工事は完成して終わりではなく、その後も責任を持って、きっちり面倒を見させてもらうのが、関根電気の姿勢。正月でもお盆でもGWの連休でも、現在では社員たちが自発的に、それぞれ対応する日程を決めて動いてくれています。いつのまにか関根電気ならではの伝統として根づいていたんです。ありがたいことだと思いますね。

子どもたちに残したいのは、何よりも大切な「信用」。

創業30周年を越えました。これまでもたくさんの方々から「社長として大変だと思ったことは?」と訊かれてきましたが、正直言って、大変だと思ったことは一度もありません。どんな仕事でも大変さはあるのでしょうが、私自身として「この仕事が辛い」、「この仕事が大変だ」と感じたことはないんです。初めて取り組む仕事も、一度経験すれば貴重なノウハウになりますよね。収入にも繋がりますから、逆にチャンスだと思います。お客様から打診された際にも、私は「わからないからできません」とは決して言いません。必要な知識を持っている業界内の大先輩が必ずいますので、その方に頭を下げて教えを乞えばいいだけだと、私は思っているんです。

私が今、関根電気の代表取締役として、どういう気持ちで仕事に取り組んでいるかと言えば、息子に代替わりするまで、いい形で残したいという、その一念。これから息子や次女が関根電気を担うようになって、どう進んでいくかはわかりません。私も60歳を過ぎましたが、家内や弟と一緒に、できる限り協力したいと考えています。次女である娘も、今や立派なブレーンとして頑張ってくれている。仕事そのものもそうですが、お客様と接する面でも、すでに関根電気の顔として私以上の存在になっています。

長女のために独立し、そして今は家族全員が支えてくれているのが関根電気です。本当に家族に助けられて、ここまでやってくることができました。どんな時でも踏ん張って頑張れたのは、家族があってこそ。それが私の偽らざる本音ですね。だからこそ子どもたちに、できる限り、いい形でバトンタッチしたいです。「お金よりも大事な信用を遺残せるように」との想いで、今も毎日、頑張っています。

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